基本情報
みなさん、はじめまして。サイト運営者の「ろっきー」です!
ここでは私がどんな人なのか説明していきますのでお付き合い下さいね!
職業:某IT企業の代表取締役
ニックネーム:ろっきー
<プロフィールサマリ>
新卒でエンジニアとなる。会社員として働きつつ個人でも事業を行い、独立し会社を設立。
独自で採用マーケティングを実施しテレビや新聞やWebメディアへ数十掲載され認知度が高まり急成長。その後、会社をバイアウト。
現在はバイアウトした会社で代表を務めつつ、別会社の立ち上げに関わり投資家としても活動中。
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上の説明のみ見ると順風満々に見えると思いますし、そう言われることは多々あります。
いやいやいや、、、こう見えて苦労しているんですよ(笑)
そもそも私がどんな生き方をしてきたのか、赤裸々に明かします↓↓↓
家族について
両祖父祖母、両親ともに公務員。兄弟は私含めて3人兄弟。
家族は基本的に優しく、私は両親も旅行だったりとかに連れて行ってくれたりしていて不自由ない生活をしていました。
両親はどちらも仕事をしているため小さい頃は父方の祖父母の家で過ごし、そこで夕飯を頂くことも多かったです。
一人で留守番するようなこともないですし、いつもそばに家族がいたので普通に考えたらとても恵まれた環境に育ってきたと思います。
幼少期~中学1年生:コンプレックスのカタマリとなる
言いたいことを言えなくなる
幼少期の思い出はあまりないのですが、すごく覚えているのが父は家でイライラすることも多くテレビを観てよく暴言(?)を吐いているのを見てイヤだなと思っていたこと、母にヒステリックに怒鳴られることを避けて過ごそうとしいたことを覚えています。
頭に残っているエピソードを1つ。
ある日、夕食を食べている時にお茶漬けのCMがテレビで流れてきました。無性に食べたくなり「お茶漬け食べていい?」と父に聞いたら、父に私の茶碗をキッチンに投げつけられたという経験があります。
小さい頃だったので非常に驚いて部屋を飛び出し泣いてしまいました。
いま考えれば「せっかく作ったおかずが気にくわないのか」とイラっとしてしまったのだなと思えますし、父も母も公務員と言っても非常にストレスの掛かる環境での仕事だったのもあって余裕もなく、しょうがない行動だったんだなと思います。
しかし当時の私はそういった家庭環境の中で「思ったことを言ったら危険な目に合う」ということを刷り込まれ、自分の意見を言わない子供になっていました。
兄弟関係が悪くなる
小学6年生の時、弟にちょっとしたことでイラっとしたことがありました。
しかし「思ったことを言ったら危険な目に合う」と思っている当時の私は弟と話し合うということはせず、無視し続けるという選択をしました。
その日から弟から何かを話しかけられても誰もいないかのように振舞うようになり、一方で何か弟に気にくわないことがある時は壁をドンドンドンと激しく叩いて伝えるということをしていました。
それは私が高校生を卒業して家を出る時まで続きます。
弟にとって家の中というものが窮屈でいずらい空間になってしまっていました。
本当に最低な兄。
謝っても謝りきれません。
人はみんな私のことを嫌いだと信じ込む
小学3年生の時には凄く太ってしまい学校一のデブになっていて、鏡に映る自分は醜くこんな自分とまともに話をしたい人なんていないと感じていました。
そんなある時、隣の座席の女子が私に話かけてきたのですが、当時の私は「自分に話かける女子なんていない」と思い込んでいたので、無視してしまう形に。
怒った女子は私が無視したことを周りに言いふらし、結局女子全員に無視されるようになりました。
思い込んでいたことが現実になるってこういうことなんですね。
その頃から人と話す時に唇が震えて赤面して汗が出てきて、、、そして吃音で声がうまく出せない。
そんな子供時代を過ごすようになりました。
中学2年生~高校3年生:勉強しか信じられない学生時代
中学2年生の時、塾に通い始めました。
中学入学してからしばらくは下から数えた方が早かったのですが、勉強していくうちに成績がみるみる上がっていきトップ10%以内に入るように。
努力したら目に見える形で点数が上がっていくことが嬉しく、高校に進学後も勉強に励み高校1年生の時には学年トップを取るようになりました。
トップを取ったのは初めてで、親も喜んでくれるかなと思いワクワクしながら帰宅して成績を見せると「英語が悪いねー」の一言。
親なりの激励だったのかもしれないですが、一番「頑張ったね!エライ!」って言ってもらいたかった人にそれを言ってもらえなかったのがショックでした。(メンドウな子ですね)
その日からテストの成績や通知表は一切親に見せることはありませんでした。
学校では姿を隠しながら過ごし、家でも誰も信じることもできず勉強だけしている。
そんな学生時代でした。
大学1年生~大学4年生:奇跡の出会いに気付かせてくれた仲間との出会い
大学生になり、地元を離れて一人暮らしをすることになりました。
しかし自分に対してついて回るのは対人コンプレックスを抱えたままの私は大学生デビューなんてできず、どこに行ってもボッチになってしまうように。
クラスでもボッチ。
昼食時もボッチ。
飲み会行ってもボッチ。
免許合宿でもボッチ。
(免許合宿の大部屋で誰とも馴染めず一人だったのはツラカッタ)
そんな私を助けてくれたのが当時の同じクラスの同級生。人気者で休み時間には周りに人が集まってくるような人。
自分とは全然違う世界の人だなーと思っていたことを覚えています。
そんな異世界な人にも関わらず、私に対してもすれ違う時に笑顔を見せてくれ、お互いに「おっす」と挨拶するようになり、ちょっとずつ打ち解けるようになってきました。
そして飲み会にも誘ってくれるようになったのです。
しかし私は大学に入学してから参加した飲み会ではいつもボッチになるので断っていたのですが、何度断っても誘ってくれるのです。
そしてある日、しょーがないから行ってみるかと参加した同級生との飲み会、、、、、、結構楽しいのでは!?!!?
そこにいた人たちとコミュニケーションをどうやってとろうか迷いつつも、少しずつ打ち解けていくのが分かりました。
飲み会の回数を重ねていくうちに仲良くなっていくのも感じ、みんなで映画にも行ったり麻雀で夜更かしするように。
そう、友達と言える人ができたんです…!
この経験から「いま何か行動したら奇跡的な出会いがあるかもしれない」と思えるようになりました。
そしてたった1回の飲み会をキッカケに自分に自信がついたんです。
友達と一緒に乾杯できるようになりました。
接客のバイトを卒業まで3年間やり続けました。
自分で県人会を立ち上げて学園祭で出店しました。
親友と呼べる仲間ができました。
親に「ありがとう」と言えるようになりました。
そして、弟とも話ができるようになりました。
大学時代では人生の中でかなり多くのことを学び、得ることができました。
本当にこの大学に行って、みんなと出会えて良かった。
社会人1年目:繰り返される毎日にドロップキックしたくなりMLMへ
社会人になり東京に出てきました。
初めての社会人。ワクワクしていたにも関わらず新鮮味があったのは最初だけ。
半年もすると毎日のルーチンワークに飽き飽きするようになっていました。
東京での知り合いは同期のみで会社と自宅を往復する毎日。
そしてほとんど周りの人と話をせずパソコンとニラメっこ。
そんな時に友達が「金持ち父さん貧乏父さん」という本を勧めてくれたのですが、この本が当時の私の心に、グサーーーーっと刺さりました(笑)
一番刺さったのは4つに分類される以下の働き方。
- E:会社員(Employee)
- S:自営業者(Self Employee)
- B:ビジネスオーナー(Bussiness owner)
- I:投資家(Investor)
「不労所得なんて素敵な道があるんだ!スゴイ!」という日本一の素直さで本を読み進め、不労所得を求めMLMの道に進みました。
MLMをやっている時は投資だと言いながら商品を購入し続け、飲み会も開きまくり例に漏れずMLM貧乏に。
毎日夕食の残りモノを弁当に詰めて水筒と共に会社に持参は当たり前で、コンビニでは飲み物は買わないことを徹底。MLM仲間と3人で同居するなどの必死の努力の結果、毎月のキャッシュフローはマイナスになることはなく借金を作ることが無かったのが不幸中の幸いでした。
実はこのエピソードの中に出てきた中で私の人生のターニングポイントがあります。
それは「金持ち父さん貧乏父さん」に出てきた4つの働き方を知れたということです。
本を読む前まではE:会社員(Employee)としての働き方しか知らなかったのですが、B:ビジネスオーナー(Bussiness owner)やI:投資家(Investor)という働き方を知り、自分もなれるかもしれないという可能性を見出すことができたんです。
そのおかげで紆余曲折ありましたが、会社を立ち上げB:ビジネスオーナー(Bussiness owner)となり、バイアウトをしてI:投資家(Investor)にもなることもできたんです。
お気付きの方もいるかと思いますが、このサイトもここで出てきた「金持ち父さん貧乏父さん」という本の4つの働き方をテーマにしているんです。
まだ本を読んでいない方はそれぞれの働き方について解説しているのでぜひ読んでみて下さいね!
社会人2~6年目:MLMを辞め新しいことを模索する
MLMをやっていく中でいくつか良かったことがあります。
・自分で企画する飲み会が多かったので、企画へのハードルが低くなった。
・会社員としての働き方の他にオーナーという仕事を知れた。
・妻と出会えた。
特に3つ目の「妻と出会えた」というのは大きい出来事。
MLMの一環でいろいろな人と繋がっていく中で、ある日紹介してもらった人が妻でした。
当時の私はビビッときてしまい、あれだけ夢中だったMLMもどうでもよく思えてきてサラッと辞めました。
しかしMLMを辞めたはいいものの、今まで夢中になっていたものがなくなりポッカリ穴が開いた感じがずーーっとありました。
そんな中、友人がシェアハウスを立ち上げたという話を聞き「自分でもやってみたい」と思い、友人にシェアハウスの立ち上げ方を教えてもらいシェアハウスを立ち上げることに。
その時の元手の資金は、妻との結婚式を挙げるために二人でコツコツ貯めていた貯金でした…!妻はそれを元手にシェアハウスの立ち上げを了承してくれたんです。
そんな妻のために上手く回すさないといけないと思い頑張って事業が回るようにしようという気持ちもありつつ、心に空いた穴を埋めるために「何かやらなければ」という焦りの気持ちが先行し、急いでシェアハウスの家を決定したり入居者の面接もザルだったので問題も多発。
結局1年半でシェアハウスを閉じることになりました。
そのあと、なんとかビジネス支援協会的なアヤシゲな協会をやっている人に会いにいってカジってみたり、いろいろ動いてみるのですが全然ピンとこない、、、、
自分は何をしたいのか全く分からない迷っている真っ暗闇な期間となりました。
社会人7年目:独立・起業
いろいろ模索をしていく中で、友人が「会社を作ろうと思っている」という話をしてきました。
私は「金持ち父さん貧乏父さん」を読んでから会社を持つということに対して憧れを持っていたので、「自分も会社やりたいと思っていたんだ!一緒にやろう!!」と提案。
なぜ「一緒にやろう!!」と言えたかというと、私は今までSESで現場に入りながら案件に入っていたのですが、独立してからもその繋がりで仕事をもらいSESで稼働できることは問題無さそうだという考えがあったので自信をもって言えたのが大きいです。
結局、その友人とは考え方が合わず会社作るのは断念。
しかし一度会社を作ると決意した思いは変えられず、調べながら登記を進め会社を設立しました。
自分の会社ができたということに対し凄く感動し、平日はクライアント先で仕事をして土日はレンタルオフィスに出社して仕事をするような毎日を過ごしていました。
その忙しい毎日の中で私にとってスゴイことが起こりました。
弟が当時別の会社でエンジニアをしていたのですが、会社を新しく作ったことを弟に伝えたとろ、付いてきてくれることになったんです…!!!
子供のころに無視したり肩身の狭い思いをさせてきた兄を恨まず、支えてくれている弟は本当に器が大きすぎます、、、、、
創業期と成長期:会社の成長期と気付き
会社を作った時には特にSES事業をしようという思いは強いわけではありませんでしたが、「一緒に働きたい」と言ってくれているエンジニアにやってもらえる仕事がSESの仕事しかなく、それでも良いと言ってくれる方が増えてきました。
会社としての利益を増やすべく、独自で採用マーケティングの施策を回していった結果、うまく各メディアに取り上げて頂くことができました。(テレビや新聞にも取り上げて頂いたのですが、yahooニュースのトップに取材記事が掲載された時は本当に感動、、、)
そこから会社の認知度アップに繋がり、エンジニアの応募も増え、会社メンバーの人数も増えてきました。
もちろん順風満帆というわけではなく、初めてのことばかりなのでいろいろな壁が立ちはだかりました。
例えば、人が集まるとどうしても発生する”個々のルールの違い”による衝突です。
私は自由な会社が良いと思ってルールを設けていなかったのですが(形式的に就業規則はありましたが)、例えば「あの人のあの行動ってダメじゃない?」のような意見が出て、それに対して対処したら一方のメンバーから・対処しなくてももう一方のメンバーから不満が出るようなことがあります。
そんなこんなで、会社員をやっている時とは全く質の異なることで葛藤するような時間を多く過ごしていくことで「やりたいことをやる」のではなくて「やるべきことをやる」のが生きる上で正解なんだなと気付きました。
先ほどの例では、今まではメンバーに対して「注意とかルール決めとかしたくない。ルールは作らないで運営したい」と「やりたい・やりたくない」で決めていました。
ただこの状態で運営していた会社はカオスで、メンバーの調整で非常に工数が掛かっていました。
しかし会社を今後どうするべきか・どういう集団であるべきか、という観点で考えると「しっかり会社としての方向性を示しルールを決めるべき」なんです。
「やりたいことをやる」のではなくて「やるべきことをやる」
今後の自分の活動が社会にどういう影響を与えるべきか。
そのために自分は何をするべきかを見出すことが必要です。
しかし、自分はどうあるべきかということはすぐに出てくるものではありません。
いろいろな経験を重ねていくことで視野が広くなり、次第に見えてくるものだと思います。
「やりたいことをやる」のではなくて「やるべきことをやる」
「やるべきこと」は経験を通して気付くもの
そして会社をバイアウト
2020年、新型コロナが猛威をふるいました。
当時の市場は急激に不安定になり例えば同業の会社では社員の半分以上が自宅待機になってしまったという話も。
この影響は私の会社も例外でなく、一部のメンバーが自宅待機になってしまったり、極めつけは取引していた会社が倒産してしまい数百万という売上が入ってこなかったということがありました。
現在は市場は落ち着きを取り戻しつつありますが、当時は新型コロナでの市場の影響は数年続くと言われていたので一寸先は闇という状況。。
そんな時、自社サービスの対応をしてくれるシステム開発会社を買収したいという、ある会社の代表の方をご紹介頂くことに。
その会社は自社で独自のサービスを展開していて、新型コロナが発生する前から事業の売上が年々倍増。そして私の会社とは逆でコロナ特需で、ここ最近は売上が爆上げしていました。
そこで決意しました。私の会社をその会社へバイアウトするということを。
理由としては、新型コロナによって会社が無くなってしまうより、急成長中の親会社と共に事業を展開していける方が現在のメンバーにとっても良いと判断したからです。
しかも今までSESでクライアント先に常駐するしか選択肢の無かったメンバーが自社内で親会社のシステム開発の業務もできるようになったり、SESでは難しかった未経験エンジニアの採用をして自社で育てるということも可能になるというおまけ付き。
バイアウト後は私はどうなったかというと、会社の代表を続投しつつSES事業・親会社のサービスの開発・自社サービスの開発に携わっています。それに加えバイアウトした資金を使って投資家としての活動や新規事業を立ち上げるといった活動をしています。
今後、私がやっていくことの一つ
会社をバイアウトしてからも会社の代表をしながら、並行して私が人生を掛けてやるべきだと思うことをやる活動を行っています。
私がやるべきことはいくつかあるのですが、その一つがエンジニア経営者を増やすということです。
以前はIT土方と言われて過酷な働き方をしてきたエンジニアが多かったですが、ここ数年で働く環境が劇的によくなってきました。またエンジニアが世間的に評価されはじめ給与等の待遇も良くなってきています。
ただそれで満足して欲しくない。
世界に目を迎えると、名だたる企業(例えばGAFA)の創業者はエンジニア出身であることがほとんどです。
また今の技術革新には本当に目を見張るものがあります。その技術革新の情報が入ってきやすいエンジニアは今後の市場に出していくべきサービスをいち早く察知できる環境にいるのです。
そしてそのサービスを使いこなし実際に市場に出していくところまでできるエンジニアも少なくないと思います。
上の記事にもあるように、今後の社会を担っていくのはエンジニアなのです。
そのエンジニアが経営者として成長していけるようメディアとして発信していければと思っていますし、自分自身も皆さんと一緒に日々切磋琢磨しながら成長していければと思っています。